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労働新聞 2007年5月15日号・6面 労働運動
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規制緩和の犠牲強まり、
船内単独ストへ
そして、産別の「大同団結」で
新たな展望開ける
(日本港湾労働組合連合会
竹内一書記長に聞く)
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昨年、秋田では港湾運送事業の規制緩和に伴う新規参入の動きに対して、全国港湾(元木末一議長)傘下の労働者がストライキを打ち抜き、参入を断念させた。また今年に入って〇七春闘で同じくストを行い、要求を実現させるなど港湾労働者の闘いは大きく前進している。全国港湾に加盟する日本港湾労働組合連合会(糸谷欽一郎委員長)は昨年単独でストを闘い、産別組織である全国港湾の強化に力を果たした。労働運動の活性化が問われるこんにち、日港労連の闘いは他産別、他産業の労働運動にとっても大いに学ぶ点がある。こうしたことについて竹内一・日港労連書記長に聞いた。
日港労連は、基本的に六大港(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸)の船内や沿岸での作業に従事する労働者を組織している。一九五六年、横浜、大阪が中心となって結成された。
また船に積んだ荷物を固定、捕縛する作業を行う関連業務に従事する労働者や、検数労働者も組織している。組合員数は登録でいうと五千人ぐらいだが、実数は一万弱ぐらいいる。
港運同盟の船内沿岸部会とともに、協議会である港荷労協をつくっている。
単独でストライキ
日港労連は、どちらかと言えば労使協調的な組合だ。
しかし、規制緩和が全港に波及して、九九年に六大港で、二〇〇四年段階で地方港も含むすべてで行われた。この規制緩和に対する対策が、全国港湾としても迫られていた。
実際、規制緩和によって、港湾労働者が犠牲になる実態が生まれていた。認可料金制度がなくなり届出制になって、荷主がダンピングするような状況が起き、それが賃金に大きく響いてきた。この認可料金の問題が、規制緩和のいちばん問題の産物であると考え、これを取り返そうという議論がわき起こった。
労働組合が、賃金のことを要求することは当然だが、料金について要求するのはおかしいとの声もあった。だが、料金の問題は賃金に関わる問題であると位置付けて、「適正料金の収受」を求める闘争を行った。交渉の結果、業界側の団体である日本港運協会側は「適正な料金を収受する」と明言したので、産別としての〇四年港湾春闘は妥結した。
われわれ船内関係労働者にとっては、下請会社における賃上げにどこまで反映させられるかこそが大きな関心事であり、ここを検証しようということになった。しかし、事業者側は「下請けというのは、昨日決まったから明日から料金が下りるものではない」「来年までに適正料金をつくるから辛抱してくれ」と主張していた。
ところが、一年経った〇五年になると、日港協側はそのことに触れなくなった。そこで、われわれは単独で争議通告を行い、二十四時間ストライキの準備に入った。スト前日までギリギリの交渉を行ったが、最終的にわれわれが折れた。事業者側から「今年だけ辛抱してくれ。もう一年待ってくれ」と言われ、われわれも単独でストライキをするのは本意ではなかったので、「待ちます」ということで泣く泣く手を打った。
しかし、私はこの交渉の最後に「来春闘では、一回目の回答が不当な内容だったらただちにストライキを打つ」と宣言した。これが〇五年春闘の結末だった。
そして〇六年春闘に向けて、全国港湾としてストライキが打てないか相当動いたが、難しく、「〇六年は単独でストライキを打つしかない」というのが見えてきた。
こういう状況を見抜いて、日港協側は、〇四年に確約した適正料金の収受について、事実上、反故(ほご)にするような態度をとってきた。
そこで、ただちに〇六年の春闘方針案で、第一次回答から即ストライキに入ると宣言し、各職場に向けて「とにかくケンカの支度をしろ」と指示し、スト態勢を整えた。
にも関わらず、事業者側は「低額回答しかできない」という姿勢だったので、三月二十六日の日曜・夜間のストライキを決行した。
率直に言って、このままでは労働条件はおろか、現業基盤自身が壊れてしまって、大変な合理化が発生してしまう危機感もあった。このストライキで何を取るとか、これを取るとかではなかった。「ウチだけでやったぞ」「ウチだけでもやれる」ということを行政と船社、荷主、元請けに示したかった。だから「意地のストライキ」でもあった。
他方で、われわれの組織的な規模からいって、すべての港を止められるわけではない。そういう意味での限界も強く感じた。
しかし反響は大きく、「あそこがストライキをやるのか」と日港協や国土交通省も大きな衝撃を受けたようだ。
新規参入阻止へ闘い、産別の重要性を痛感
昨年、秋田で能代運輸の新規参入問題が起こった。
その前にも、神戸港で新規参入問題が起きていた。神戸では外資系が新規参入を狙っていたが、ストライキをせずに申請を却下させた。
こうした状況の中で、能代での闘いをどうしようかということになった。神戸ではたまたま決着したが、新規参入問題は瀬戸内などでいっぱい起きている。
この問題では、全港湾の伊藤書記長からも相談を受けた。相談を受け、日港労連としてもともに闘うことを即快諾した。なぜかと言うと、能代の闘いに私たち港湾労働者全員で立ち上がったら、〇七春闘で共闘態勢ができるにちがいないと思ったからだ。そして能代運輸の問題で全国でストライキを行い、新規参入を断念させた。これが〇七春闘を組織をする上で、いちばん良かった。これまで、「仲が悪い」とされてきた全港湾と日港労連が、この一〜二年で急速に接近したことによって、産別組織である全国港湾も強化された。
われわれは〇六年のストライキを単独で闘ったが、やはり産別で闘わなければ思うような成果が得られないことも痛感した。やはり産別として闘うことの重要性を再確認した。
産別として闘うということは自分たち以外の課題でも自分のこととして闘うということであり、とりわけ新規参入問題は深刻だ。だから能代での闘いはよいきっかけだった。
一時、「ストライキは何も生まない」という風潮があった。しかし、こういう生き死にがかかったときにストライキを打つのは当然で、能代では打った成果が目に見えた。何も「ストライキありき」ではないが、時にはやらなくてはいけない。わわれわ日港労連もそうだか、全国港湾傘下の全組織、特に若い組合員に火がついた。「絶対参入させられる」という状況から阻止できたというのは大きい。
07春闘、大幅賃上げへ道筋
〇七春闘だが、全国港湾として四月八日の二十四時間ストライキ・荷役阻止行動を闘い、一定の成果を得ることができた。
実際、制度面では要求していたアスベスト対策の基金が創設されることになったし、新規参入についても事実上、日港協側は「反対」と明言した。
賃金面についての成果としては低かった。ただし、日港協側に「元請けに対して、下請けである作業会社へ、大幅賃上げができるような作業料金体系を指導する」と言わせたのが大きかった。今春闘で四千円上がったが、この回答を産別で引き出した方が重たいと感じている。
私は組合員に対して「今春闘で大幅賃上げを期待するな」と言ってきた。それよりも「大幅賃上げに向けた道筋をつけなくてはいけない。まず、原資を流し込む仕組みをつくらないといけない」と強調してきた。
各企業の組合員は大変な苦労をしている。四十三歳で残業なしで二十八万円くらい。これも格差があって、若い人になると十万円台だ。「八時間拘束、七時間実働、月間四十五時間以上は残業はしてはいけない」という産別協定があるが、現実は四十五時間残業ではご飯が食べていけない、子供を育てられないという、港湾の船内関係の実態がある。
交渉の中でも、経営側に来春闘で大幅賃上げを行うような「決意表明」を迫り、口頭確認を得ることができた。
知ってもらいたい港湾の闘い
やはり、一言で言えば「大同団結」しかない。これにつきる。
連合労働運動についてだが、厳しい言い方をすれば、本当に弱いと言わざるを得ない。あれだけもうけたトヨタでさえ、目に見えない一時金処理の「千円」だ。あれが春闘相場を下げている。これが、今春闘の最大の弱点だと思っている。
労働運動全体を見据えたときに、その活性化を一挙にやるというのは難しい。しかし、せめて、運輸産業ではワクを超えて何かができないかとは思う。共通した課題で、例えば全港湾などがやっている「石綿対策全国連絡会議」や、全国港湾も参加している「陸・海・空・港湾労組二十団体」などの取り組みは重要だ。
そして、もっと「港湾はがんばっているぞ」ということを社会的にアピールしていきたい。
たけうち・はじめ
兵庫県出身。九〇年神港作業株式会社入社。九五年同社労働組合組合長。同年神戸港湾労働組合連合会執行委員。九九年神戸港湾労働組合連合会書記次長。〇三年より日本港湾労働組合連合会書記長。
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