20011205

フィリピン・トヨタ 本社へ233人の解雇撤回求める

日・比労働者の連帯で トヨタの攻撃はね返そう

スト構え、賃金凍結継続阻止


 わが国の企業は海外への生産拠点移転を進めている。産業空洞化が進み、労働者の雇用に大きな影響を及ぼしている。移転先の海外においても、進出企業が、日本の労務政策を持ち込み、労働組合の存在を認めず、現地の労働者を攻撃し、組合つぶしを数多く行っている。こうした中、フィリピン・トヨタの労働者代表団が解雇撤回を求めて来日、トヨタ本社抗議行動を行い、労働者の国際連帯を強く訴えた。

 「トヨタの組合つぶしを許さない! フィリピン・トヨタ労組激励集会」が11月25日、愛知県豊田市内で開催され、約100人が参加した。主催は「フィリピントヨタ労組支援本社行動実行委員会」で、トヨタをはじめ日産、三菱などの自動車産業労働者や地元の安城地区労が参加。そして、22日のトヨタ東京本社での抗議行動などに加わった神奈川県高教組、全造船関東地協などからも参加した。
 最初に社民党愛知県連合・木下義人幹事長が「リストラに反対し、労働者の生活を守るためにともに闘おう」と激励のあいさつをい、フィリピン・トヨタ労組の争議の経過が報告された。

比現地の闘いについて報告
 フィリピン・トヨタ労組のエド・クロベ委員長は「トヨタの経営者はわれわれの仲間233人を解雇したが、その後も職場にいる組合員や支援者に対し嫌がらせを続けている。会社は解雇した後、ストライキは非合法だと告訴し、裁判所はわずか1カ月でトヨタの訴えを受け入れた」
  「抗議の声をラジオで訴えたが、放送の数時間後には警官が自宅に来た。そして家族に対し『ラジオなどのメディアを使わないように言っておけ』と言った。私は身の危険を感じ、1週間は自宅に帰れなかった。会社は、組合員26人が脅迫的な態度を取ったとして、刑事罰で告訴、現在、三つの事件がでっち上げられている。だが、こうした嫌がらせに対してもひるまず闘っている」と、警察も一体となった会社側の弾圧について厳しく指摘した。続いて、「闘争を続けている中、会社側は組合に対し、労働裁判所へのわれわれの提訴を取り下げるなら、会社は刑事告発を取り下げ、退職金を支払うなどと申し入れてきたので、全員は拒否したが、会社は退職金の引き上げを提案してきた。しかし、この提案を拒否するようにわれわれは組合員を説得している。また、政府に対しても訴えてきたが、政府は何もしない。だが、われわれは勝利を勝ち取るまで闘い続けていく。そうした中、日本の皆さんから支援していただいたことに勇気づけられている。われわれの闘いはフィリピンの労働者だけでなく、全世界の労働者の闘いであると確信している」と決意を述べた。
 また、エド委員長に同行したフィリピン・トヨタ労組の役員は「工場内の労働者に闘いを継続するように訴えて続けている。その訴えを、労働者は好意的に受け入れ、労働者は組合へのカンパ活動など協力している。また、組合員は多くの幹部が解雇されたにもかかわらず、奮闘している。こうした支援によってわれわれの闘いは支えられており、勝利するまで闘っていく」と訴えた。

日本の労働者が連帯表明

 その後、参加者から激励の発言が続いた。トヨタの労働者は「フィリピン・トヨタ労組を支援するにはわれわれトヨタの労働者が行動することが重要だ。できる限りの支援を行う」と決意を表明した。また、日産の労働者は、「日本の自動車産業が海外に展開し、そのために国内で多くの労働者や下請け企業などが苦しめられているばかりか、海外の工場では日本の労組のように会社側の言うなりになることを求め、さまざまな不当労働行為や組合つぶしが横行している。フィリピン・トヨタ労組の攻撃もその一例だ」と指摘した。  二十六日は、豊田駅、トヨタ本社、三河豊田駅の三カ所で、トヨタの組合つぶしを糾弾する宣伝を行った。これまでなかなかビラを取らないといわれたトヨタ本社でも多くの労働者がビラを受け取り、関心の高さを示した。  本社への要請行動に対し、会社側はエド委員長やフィリピントヨタ労組を支援する会の代表と面会に応じた。しかし、会社側はフィリピンの問題は現地が解決することであるとの対応に終始し、トヨタとして問題の解決に取り組む姿勢を見せず、参加者は怒りをあらたにした。  なお、フィリピン・トヨタ労組の支援として、二十二日にもトヨタ東京本社前での抗議行動や各地での報告集会などが取り組まれ、トヨタのフィリピンでの組合敵視政策の実情が訴えられ、支援の輪は大きく広がった。

フィリピン・トヨタ労働者の闘いの経過


1988年     フィリピン・トヨタ社創業。従業員は1500人
1998年4月  組合結成。労働者の過半数が組合を支持、労働雇用省が組合を承認し たが、会社は不服申          し立てし、承認が取り下げられる
1999年6月  再度、組合づくりに入り、労働雇用省が組合の承認選挙を実施するようにと裁定
2000年3月  組合承認の選挙を実施。会社側の切り崩しの中、過半数を上回り組合は勝利。だが、会社は          組合との団体交渉にいっさい応じない態度
2001年2月  労働雇用省での公聴会に組合員多数が参加
2001年3月  会社は、公聴会参加は無断欠勤として233人を解雇、100人を停職処分。組合は3月28日           から解雇撤回を求めてストライキに突入
2001年4月  トヨタなど日系企業はフィリピン政府に対し、労働争議が解決しなければ投資を撤退するとねじ          込むが、マスコミにリークされる

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