いちだんと堕落した共産党――21回党大会批判

(前文)


 長期大不況と北海道拓殖銀行、山一証券等金融機関のあいつぐ破綻など、日本資本主義経済は深刻な危機の様相を示している。この危機の中で、一方で、トヨタやソニーなど多国籍化した巨大企業は空前の利益をあげ、他方で、労働者の失業と労働条件の悪化、中小零細企業や商業者など自営業者の倒産や廃業、営業困難、また、農家経済の破綻など、国民各層の生活と営業、営農は厳しさを増し、苦難は蓄積されている。

 橋本政権は、多国籍化した巨大企業が欧米企業とあらそって勝者となるための国内「改革」を強引にすすめ、国民各層の困難をいちだんと激化させ、さらに「預金者保護」の名目で巨大銀行の競争力強化のために公的資金(国民の税金や国家の資産)を投入するなど、反国民的な政治を強行している。対外的には、アメリカの東アジア戦略に民族の運命をまかせ、富強化する中国を戦略対象とする日米安保共同宣言、安保再定義にふみきり、アメリカ追随の外交路線と新ガイドラインをすすめている。

 このリアルな利害対立、深刻な現実が公然と国民の眼前にあらわれている。大企業・財界のための政治への国民の怒りは爆発に近づいている。すでに、改革を強行する橋本政権は窮地においこまれている。だが、野党はほとんど国民の期待にこたえていない。それどころか社民党はこの期におよんでも与党として反国民的で窮地にたたされた政権をささえ、自民党とともに大企業のための改革攻撃を推進している。目を覆うばかりの惨状である。

 戦後、長い間、社会民主主義は労働運動など国民の中で一定の影響をもってきた。とくに労働組合の多くが社会党を支持して、自らの闘争もそこそこに、社会党の選挙運動にかりだされて、「勝った」「負けた」と一喜一憂させられてきた。

 その社会党は、自民党政治の危機がはじまって単独政権が崩壊したとき、連立政権ということで細川政権をささえ、議会制民主主義をさらに制限した小選挙区制をすすめ、社会党委員長の村山首相は、自衛隊合憲、日米安保堅持など、反国民的な政治を自らすすめた。そしていまは自民党との連立で、まったく財界のための反動的な政治をささえる裏切り者、悪政の推進者となった。しかも労働組合までも、社民党を人質にとられてこの政府とたたかえず、労働者にはたたかわずして犠牲がおしつけられている。「社民党を人質にとる」、これこそ危機の時代に支配層がこうした連立政権を必要とする真のねらいであり、支配層・自民党の政治的策略である。

 今後ますます経済の危機は深まり、それにつれて自民党政治と国民の矛盾は激化し、政治支配体制の動揺はさけがたい。この情勢でどうたたかうか、労働者の先進分子と進歩的人びとの緊急の関心事となっている。橋本政権を打倒し、国民生活の防衛と自主的で平和な国の進路へ政治を転換させなければならない。

 こうしたなかで、日本共産党が九六年の総選挙につづいて九七年の都会議員選挙など地方選挙でもいっていの前進をとげ、さらに、九七年九月末の第二十一回党大会で「二十一世紀の早い時期に連合政権」をめざす方針を決めたことは、注目を集めている。

 悪政に怒る国民各層のあいだに、共産党への一定の期待が広がっている。これはいまの政党状況を考えれば、当然である。それは共産党への支持というよりは、本小論で検討する共産党大会の決議でもふれているとおり、自民党政治への「批判票」が共産党に集まったものである。国民にとって、自民党の悪政とたたかう政党であればどこでもよい、そういったせっぱ詰まった状況の反映にほかならない。

 では、二十一世紀の早い時期に政権という共産党の政権構想とめざす政策はいかなるものか、国民の期待に本当に応えるものか。国民は社民党が参加した連立政権のもとでひどいめにあっているだけに、こうした苦い経験を二度としてはならないからである。共産党の問題は、今日とこれからは単なる一党のことにとどまらず、国民生活防衛のためのたたかいとわが国の進路にかかわり、労働者と国民の前途に大きく響くからである。

 われわれは時間をかけて、共産党の大会決議や不破委員長など幹部の発言、それに歴史的な経験などを慎重に検討した。その結果が、この小論である。

 結論的にいうとつぎのようなことである。

 共産党はこれまでもそうだったが、ますますたたかわなくなるだろう。支配層との決定的な対立はますます避けるようになる。そして、共産党がいう連合政権は、保守党との連立政権に参加するということである。

 共産党がめざす政策は、国内経済・国民の生活のための政策で大企業・財界に妥協し、また、外交政策でもわが国支配層とアメリカの容認できる範囲内に抑えるなど、支配層に徹底的に恭順の意志を表明するものとなっている。

 危機がさらに進み、体制側の危機が進んだときに、すなわち労働運動と国民の運動がたかまったときに、支配層が労働運動に一定の影響をもつ勢力の助けを求めるときがくる。それは確かにありうることで、ヨーロッパなどではたびたびその種の経験をしている。社民党を、いま自民党が”人質”にとっているものそれである。共産党はそのときが政権参加のチャンスだ、しかも、そのときはそう遠くないと判断した。そのとき、いま社会民主主義者がはたしている以上の役割をはたすことを支配層に誓って、政権に加わろうということである。

 大会決議や不破委員長の発言を慎重に検討すると、これ以外の論理的帰結はないのである。

 この小冊子を手にされたみなさんは、この結論に同意されるであろう。

 だが、同様な結論は、実はわれわれだけではないのである。

 興味深い事実がある。新たな共産党路線は危険でない!といち早く見抜いたのは、ほかならぬ敵、ブルジョアジーの少なからぬイデオローグ、指導者たちだった。彼らは、一年も前から「もはや共産党は社民主義になった。危険でない」と論断していた(たとえば、元副総理の後藤田正晴氏)。

 それで想起させられるのは、イギリスの首相だったサッチャーが、ソ連共産党の政治局員になったばかりのゴルバチョフに面談し、「彼は、ソ連の社会主義を崩壊させようとしている。西側にとって使える男だ」といち早く見抜いて、レーガン・米大統領をはじめ世界中の支配層に知らせるとともに、ソ連を瓦解させるために共同して画策したという有名な事実である。階級敵たちはまさに研ぎ澄まされた嗅覚で事態を読みとろうとしている。

 敵が、この共産党の新路線に大きな期待を寄せている事実こそ、新路線の階級的政治的な、すなわち国民にとっての意味を万の言葉より、明白に証明している。

 先進的労働者、各界の進歩的人びとが、国の前途のために支配層との闘いを発展させるとともに、そのためにも共産党の新路線とのたたかいを重要で緊急の課題として重視されるよう呼びかける。いま、橋本政権の悪政に反対する国民の共同行動が切実に求められており、広範な勢力の連携なしにそれは不可能である。

 そのとき、共産党が共同に参加することを拒むものではない。連携は広ければ広いだけ、大きな力を結集できる。だが、それでもこのような共産党を批判し、その路線を破産させることは真の勝利のために不可欠である。

 この小論は、その闘争のための一つの材料を提供しようとするものである。


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