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労働新聞 2010年4月15日号 通信・投稿

稲垣浩さんからの獄中便り
(1)

心に燃えたぎる赤い炎
25回目の不当な身柄拘束、
滋賀刑務所へ

 稲垣浩氏は約四十年にわたり、釜ヶ崎の労働者支援の炊き出しや労働相談の中心を担って闘ってきた。しかし、運動の発展を恐れた権力は釜ヶ崎労働者への攻撃を執拗(しつよう)に続けている。稲垣氏は今まで警察から二十三回にも及ぶ不当な身柄拘束を受けてきた。そして、二〇〇九年十月の最高裁判所の上告棄却によって、三月十日から下獄。獄中で闘う稲垣委員長の「便り」が、釜ヶ崎地域合同労働組合から寄せられたので、紹介する(今後、随時掲載する予定)。


大阪拘置所にて
 夕食が終わった直後に「明日刑務所に行く」と告知。今日の午前中に領置検査というのがあって、ジャンパー、防寒服、ズボン、ベルト、運転免許証、腕時計、診断書、財布類の確認があった。本日中かいずれにしても近々刑務所へ移されるだろうなと思っていた。どこの刑務所に行くかは明日の言い渡しがあるまでは分からないと担当の看守。
 私は二つの不当判決によって収監されていますが、威力業務妨害罪の方は懲役一年、未決通算百二十日を引くと今年の十一月九日が満期。もう一つありますね。暴力行為の共同共謀正犯が懲役六カ月、未決通算百日を引くと来年一月二十九日まで。二つの刑が終わるのが来年一月二十九日、明くる日出所となるわけです。今まで二十三回パクられてきましたが、この二つを合わせると二十五回目の身柄拘束ということになります。【三月十七日】


滋賀刑務所に移送
 大阪拘置所では六時半ころ、他の受刑者の人より食事が出され、みそ汁、お茶、弁当、ご飯、ふりかけ等を食べるとすぐに看守が迎えに来て、滋賀刑務所ですと告げられました。
*  *  *
 今、夕方放送のテレビ大相撲を見ています。独居房の中にあるのです。勝手にチャンネルを変えるわけにはいきませんが、大相撲のあとは「不毛地帯」、最終回(ビデオ)がテレビで見られます。
 小学校か中学校のときに、「右へならえ、右向け右、まわれ右」等、体育の時間に先生に教えられたことを思い出しながら、五十数年ぶりに小学生か中学生気分に戻っています。懐かしいですが六十五歳のオッサンが小学生のようにやっているですから、我ながら奇妙な気分です。
 私のここでの呼称番号は三十九、サンキューと覚えています。寝具類は大阪拘置所と同じです。ここでの新聞購読のことを聞いてみたのですが、読売新聞か京都新聞のうち一紙のみ(通常紙)、官が回覧する新聞は読売。見られる時間は大拘と同じく十五分。ほとんど見出しくらいしか読めません。記事の内容を読む時間はありません。
 手紙を出せるのは、月四回、便せん五枚が一回あたりの限度です。【三月十八日】

転向はできません
 受刑者生活の心得にはこう書いてあります。「あなたは今日から滋賀刑務所で生活することになりました。当所ではあなたの改善更生と円滑な社会復帰に向けてできる限り応援します」とあります。
 改善更生は私に転向しなさいということと同じ、それはできません。円滑な社会復帰は私も望むところです。
 下着類は基本的に官のもので貫くつもりです。手足の冷たさは私の心に燃えたぎる赤い炎を消すところまでは届きませんのでご安心のほどを。
 私の住まいは刑務所の四舎二階四房。独居室です。二十四歳のころ、東京足立区興野町の押入れもない三畳一間で生活を始めたころを思い出しました。雪の降った明くる朝、目が覚めると窓の隙間から雪が入り、タタミに雪が積もっていたことを。多くの人たちは若い頃は、寂しい、つらい、苦しい生活からはじめるのではないでしょうか。子供のころから豊かで何不自由しなかった人は少数でしょう。親も生活が大変なら子も大変。違いますか。それでもすねずに生きてきた。【三月二十一日】

2週間の新入者教育
 移送された日から二週間、刑執行開始時の指導を受けることになっています。学校で言えばカリキュラムのようなものです。
 みんなと協調していくようにとか、ここは初犯刑務所でA級施設(A級施設とは何を意味するのかちょっと分かりませんが)であることとか、まじめな者がバカを見ないように対処するとか、ここでは水道代が一カ月五百万円ほどかかっているという話。
 波長の合わない人もいると思うがそこを乗り切る等々、具体的な話は説得力がありました。これを一人の人が話すのではなく、各々教官、統括の人たちが話します。受刑者であっても憲法上の知る権利がある、とも教えられました。いろいろと勉強させられます。
 また、クラブ活動というのがあって、習字、短歌、俳句、パソコン、卓球等があって、私はパソコンを申し込みましたが、パソコンは人気があって待たなければならないと教官が言ってました。待っていようと思っています。

日雇い労働者に出会う
 ここでは交談が禁止となっています。他の受刑者の人とは作業上の交談も教官の許可をもらってしかできません。昼食は考査工場で食べ、そこで昼休み。このときに他の人たちと交談ができます。
 ある人が「お宅、もしかして釜共闘の会長の稲垣さんではないですか」と声をかけてきました。まさかここで声をかけられるとは思いませんので驚きと戸惑いがありましたが、「会長とはちがいますが、稲垣ですが……」と返事をすると「そうじゃないかと思っていたんです。白手帳を作った時に、お世話になったことがあります」。 
 釜ヶ崎で日雇労働をしていた人ということが分かって、少しうちとけて話すことができました。逮捕されたことによって生活保護が打ち切られて家財道具をすべて放棄したとのこと。出所したら釜ヶ崎解放会館に寄ってみる、と言っておられました。生活保護の相談であれば応援したいと思っています。「お互い事故なく元気で社会に出ましょう」と声をかけ合ったところで昼休みが終了。また黙々と作業を開始しました。社会から遮へいされた場所で声をかけてもらって、何となくほのぼのとした気分になっております


人生初めての経験
 今日は刑務所内の運動場で歩行訓練、軽い運動を二十人くらいでやりました。桜の木は三分咲きくらいかな。少し暖かくなりそうな気配が感じられます。ここは山の中ですので房内から庭を見ると見たこともないような野鳥がエサをついばんでいます。
 それにここの食事は大阪拘置所の味の悪い官弁よりおいしいです。おかずの味付けは合格ですね。
 今日も、新入講習で教官は「憲法で保障されている人権はあなた方にある」というようなことを話していました。自立支援センターや市更相やあいりん職安はそんなこと言いません。
 私と一緒に新入教育を受けている日系の人に担当さんがわざわざ試験問題の意味を解説していました。作業をしていてわき見はできませんが、担当さんのちょっとした親切心に心を打たれました。
 刑務所は人生初めての経験ですが、しっかり勉強して帰りたいと思っています。ここでしか経験できないことを味わっています。
 官房着はねずみ色の服、作業着は黄緑の服と帽子。プラスチックのバリ取りの仕事は、エアコンの部品のようです。また、コヨリの紙の先を広げる仕事は、木の道具を使ってシワをのばすのですがうまくできない。世話役の人に「へたやなぁ」とため息をつかれました。その後またプラスチックのバリ取りをやってます。
 来週から本格的に配役組となり「所定の作業(定められた仕事)を行う」ことになります。どんな仕事をすることになるのか分かりませんが、どんな仕事でもやりたいと思っています。【三月三十一日】(続く)


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