労働新聞 2007年12月15日号 通信・投稿

俳句作りを楽しむ(2)

定型と自由律

水津 哲


基本は五・七・五
 俳句は五・七・五の十七音が基本です。この枠組みがあることで、俳句の表現力が生まれてくるのです。
 最初の五音を「上五(かみご)」、中の七音を「中七(なかしち)」、最後の五音を「下五(しもご)」と呼びます。また、俳句には、六・七・五と長く「字余(あま)り」になったり、四・七・五と短く「字足(た)らず」になることがあります。このような句を総称して「破調(はちょう)の句」といいます。
 俳句を作るとき、言いたいことがたくさんあると、字余りや字足らずになりがちですが、初めのうちは、なるべく五・七・五、定型の基本に収めるようにした方がいいでしょう。

自由律の俳句
 基本は十七音の定型ですが、自由律(じゆうりつ)と呼ばれる俳句もあります。尾崎放哉(ほうさい)の「咳(せき)をしても一人」の十二音のような短い句を「短律句」、荻原井泉水(せいせんすい)の「力一杯泣く児と啼く鶏との朝」の十九音のように長い句を「長律句」と言います。
 大正時代の初め、従来の俳句が季題(季語)にとらわれすぎているとして、季題の約束に拘らない、作者自身の感動のリズムで俳句を作ろうと主張する俳人(荻原井泉水など)が出てきます。これが「自由律俳句」の誕生です。そして、新興俳句やプロレタリア俳句への流れを創り出します。

プロレタリア俳句
 一九三〇(昭和五)年当時、次のような俳句が作られました。

またうなりだした機械から夜を帰れないでいる  横山加茂水
地獄ですと若い女工が泣いている        河津 葵
滅多に握る日もなく握ればかたき妻の掌     橋本夢道

 さらに二年後、新興俳句の記念碑とも言うべき俳句が発表されました。

頭の中で白い夏野となつてゐる         高屋窓秋

 日本が戦時色を強めている時代です。一九四〇(昭和十五)年、これらの俳句は治安維持法によって国家権力に弾圧されました。いわゆる「京大俳句」(新興俳句弾圧)事件です。

降る雪に胸飾られて捕へらる         秋元不死男

(続く)


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