労働新聞 2007年10月15日号 通信・投稿

センセイの教え子から
届いたメール

ひまなぼんぺい

 僕たちがいつも「センセイ」と呼んだ長島正弘さんがガンで亡くなって、この十月五日で七年が過ぎた。亡くなる数時間前に目にした、全身を激しく動かして酸素を求める「センセイの最後の闘争」は、今も忘れがたい。
 気が浮かないとき、楽しいときに、彼とのことはよく思い出す。そして「今、センセイがいたらなあ」と思うのだが、それは所詮(しょせん)かなわない。
 ひと月ほど前、「山梨の大学院に通っている」という男性のメールが本紙編集部から転送されてきた。僕が六年前に書いた「センセイの鞄」を労働新聞のホームページで見たという。
 「文の中に出てくる、長島先生は私が小学校一、二年生の時の担任先生でした。同じクラスだった仲間から、こちらのサイトに長島先生のことが書いてあることを教えてもらいました。当時は、子供だったこともあり先生には沢山の迷惑をかけたことを覚えています。今となっては遅いのかもしれませんが、長島先生にお礼が言いたいと思いお墓参りだけでもできたらと思っています。とても古い記載ですが、わかる方がおられれば教えていただけないでしょうか?」
 僕は、古い記事を見つけてくれた礼を書き、「彼は米軍基地の下で苦悩している沖縄の人びとに共感を寄せ、生前、元気なときは始終沖縄に行っていました。そんなこともあって、彼の遺骨の半分は遺言で沖縄の海に散骨され、四分の一が郷里のお墓に、残りが高尾の家にあります」と伝え、彼の遺稿となった「『神の国』からのお便り――なっちゃんの闘い」(労働新聞二〇〇〇年六月五日号)を添付した。
 すぐに返事が届いた。
 「先生が顔を真っ黒にして学校にきて沖縄に行ってたという話を聞いたことを思い出しました。そのころは、遊びに行ってると思っていましたがいろいろな活動をしていたなんて知りませんでした。また先生の、新しい一面を知ることができました」
 その五日後、今度は「同じクラスだった仲間」の女性からメールが来た。彼らは一九八八年に八王子市の小学校に入学したのだという。
 引用させていただこう。

* * *

 年齢的にも幼い私にとって、長島先生は「先生」というより「お父さん」のような存在で、廊下を歩いている先生に後ろから飛びついたことを今でも覚えています。
 しかし、先生にそんな感情を抱いていたのは私だけではなく、きっとクラス全員だったでしょう。
 先生は授業中にギターを弾き、みんなで大合唱になりました。
 先生はいつでも優しく、それでいて毅然としていて規制の枠にはとらわれず、私たちに教科書以上のものを教えてくださいました。
 そして、教室には煙草とコーヒーと、茶色いくたびれたセンセイの鞄がいつもありました。
 私が「センセイの鞄」を見つけたのは、先週の土曜日のことでした。
 母と長島先生の話をしていました。
 母は「長島先生は、特別な人だった。ほかの先生は話をしてもただの先生でしかなかったけど、長島先生は一人の人間として話をしてくれているように感じた。スペースワーカーズはまだやっているのかな? 先生とまた話をしてみたいね。あの先生なら、相談ごととか、聞いてくれるだろうね」と。
 母の手には私が二年生のときの連絡網がありました。
 しかしいくらなんでも突然電話をするわけにもいかず、先生なら施設もやっていたしインターネットで名前が引っかかるのでは、とパソコンに向かいました。
 そこで「センセイの鞄」が一番最初に出てきました。
 「長島先生がネットでみつかったよ!」と声を出そうとして目を見張りました。
 八王子で小学校の教師をしていたと書かれている以上、残念ながら人違いではない。しかも、亡くなったのがもうだいぶ前のことだというのにも驚きました。
(中略)
 私が長島先生に最後に会ったのは選挙のときでした。その後は特に交流があったわけでもありません。
 何かもっと話をしておきたかった、大人になってから先生と話をしてみたかった。
 でも、これからはそんなときは、空に向かって、思いをはせれば、先生に届くような気がします。

* * *

 一九九三年、僕がかかわって中国甘粛省青年連合会の代表団を招いたとき、すでに教師を辞めていたセンセイに案内を頼んで小学校の授業参観をした。廊下を歩いていると、「あっ、ナガセンだっ! ナガセーン」と女の子が次々に飛びついてくるのであった。
 図らずもセンセイの教え子二人からメールをもらって、教師という職業の意味を改めて考えた。教育基本法の改悪などと十分に闘えず、元気をなくした先生方もいると聞くが、「先生はいつでも優しく、それでいて毅然としていて規制の枠にはとらわれず、私たちに教科書以上のものを教えてくださいました」と、こんな言葉を別れて二十年近くたった今でも言ってもらえる仕事というのはめったにないのではなかろうか。
 今年中には残された四分の一の骨で墓ができるそうだから、ぜひとも彼らといっしょに墓参りをして、僕の知っているセンセイのすべてを話したい。


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