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労働新聞 2007年7月25日号 通信・投稿
障害者自立支援法から1年余
「専門家に丸投げ」の発想/
国の責任放棄が腹立たしい
応益負担では生活できぬ
願いは地域で共に暮らすこと
前島 弘治
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バリアフリーは増えたが…
私は、重いといわれる障害を持っていますが、妻と二人で働きながら皆さんと同じように暮らしてきました。また二十五年前から障害者も地域で共に暮らせる社会をつくることをめざして活動しています。でも最近、社会の雰囲気がとても不気味な怖さがあるということを、活動していて思うのです。
私が活動し始めたころ、町の中は階段や段差などバリアだらけでした。それでも外に出る私たちに、社会や行政の人たちから、奇異な目線やあからさまな差別を受けてきました。
車椅子で外に出ると指をさされ、タクシーは乗車拒否されました。電車に乗るときも「危ないから家の人といっしょに来い」と言われ、買い物や食事をしようとしても物理的に店に入れなかったり、ほかの客の迷惑だからと入店を断られたりしました。アパートを借りようにも「何かあったら困る」と門前払いされるなど、差別されるのが日常茶飯事でした。
それでも障害者用の施設ではなく、みんなと同じ地域で暮らしたいと活動してきましたが、近年、ようやく地域の人たちも外に出る私たちを見慣れてきたのか、特別な視線も弱くなり、高齢化対策とあいまってバリアフリーの施設も多くなってきました。
支援法、何かが違うぞ
このように少しずつ障害者も共に暮らせる地域になりかけたころ、国も「施設から地域へ」を打ち出してきました。ようやく私たちの活動が実を結んだと思いましたが、実際は国が「金のかからない福祉」を模索し始めたに過ぎません。それでも障害者が地域でどう暮らすのかは国も打ち出していないかったので、「地域の人たちといっしょに学校に通い、いっしょに働くことが地域で暮らすことの中身ではないか」と行政や社会に問いかけ続けてきました。
ところが国は、高騰する医療費の抑制や財政負担の軽減を狙って社会福祉基礎構造改革という新制度をぶち上げました。福祉に市場原理を導入し、支出を抑えようという狙いですが、その先鋒が二〇〇〇年に施行した介護保険制度でした。そして〇六年、私たちにも障害者自立支援法が始まりました。自立支援法のうたい文句は、「どこに住んでいても同等の福祉サービスを得られる」、そのサービスを「自分で選択しながら地域で共に生活できるように」というものです。
私たちは戸惑いました。応益負担という一割負担は明らかに私たちの収入では生活していけないので、おかしいといえます。でもその他の施策内容は、どれも私たちのいう共に暮らすと似たようなものでした。でも何かが違う、何かおかしいと思いながら暮らしや活動をしてきました。
現実は「専門家と共に」
そして今、この法律ができて一年、私たちの願う「地域で共に」と、明らかにかけ離れた地域になりつつあると気がつきました。国は、障害者ヘルパーや支援センターなど、専門家を地域に配属、私たちの暮らしを時間や障害の程度によって縦割りにしようとしている。国のいう「共に」は「地域で専門家と共に」だったんだと…これでは地域に暮らしても、施設での暮らしと変わりなくなることにまず恐怖心を覚えました。
もっと考えると高齢者には高齢者用のケアマネやヘルパー、子どもには学校の先生やカウンセラー、塾の講師など、「面倒くさい人は専門家に任せればよい」という発想に気づき、ますます「ここまでやるか?」のような驚きと怖さが合わさったような気持ちになりました。
私たちの思い描く「地域で共に」は、お年寄りから子ども、働いている人や家にいる人、いろんな人たちが、助けたり支えられたりの関係をしながら暮らすことであって、一方的な支援や援助は本来、行政の責任で行うべきことです。それを国は専門家を育成し、地域に丸投げしているに過ぎないと思うと腹立たしいかぎりです。
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