|
労働新聞 2007年7月15日号 通信・投稿
映画紹介
長編ドキュメンタリー
「ひめゆり」
監督 柴田 昌平
22人の証言を記録
「これが戦争なんだ」
|
この作品は、沖縄戦で生き残った「ひめゆり学徒」たちの証言を記録したものである。当時十五歳から十九歳だった少女は、六十数年の年を重ね、ほとんどが八十歳を超えた。むかし戦場であった現場に立って、二十二人が当時を語る。
「頭も手足も吹き飛んだ人、人、人。肉片と血の海でした」
「はらわたが飛び出して死んでいる友の姿がそこにありました」
「みんな生きたかったんです。だから壕の中で『助けて、助けて』と叫んでいました」。
「この土には血が染み込んでいます」
「これが戦争だと、だれかが言いました」
「私は生かされたんです、この惨状を語るために。そう思うようにしています」……
戦後六十二年が経過しても、彼女たちの記憶は、昨日のことを語るように鮮明である。忘れようとしても忘れられない、むごたらしく壮絶な記憶である。
証言は三部で構成されている。
第一部。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒二百二十二人と教師が陸軍病院に派遣された。病室となる壕を掘る作業では、歌ったり笑ったりする十代の少女たちだった。しかし、しだいに運び込まれる負傷者が多くなり、少女たちは寝る間もなく世話を続けた。一方、米軍の空爆は激しくなり、一瞬の差が生死をわける戦場と化していった。
第二部は米軍との地上戦だ。軍隊も病院も後退してガマ(鍾乳洞)などに隠れている。米軍が火炎放射器ですべてを焼き尽くしていった。ガマも攻撃され、多くの少女たちも命を落としていく。
第三部は、学生に解散命令が出てからの逃避行である。少女たちは米軍に包囲され猛攻撃を受ける中で、ガマから追い出される。山に逃げたが米軍の集中砲火を浴び、生き残った少女たちは海岸に追いつめられた。
少女たちは日本は必ず勝つ、敵に捕まることは国辱だと教え込まれていた。少女たちにとって、自決は唯一の選択であり、手榴弾で自決する少女たちもいた。ひめゆり学徒百三十六人が戦場で命を落とした。
現場を背にして語る証言は重く、悲惨な戦争の現実がリアルに伝わってくる。彼女たちは遺言として証言を残すことを、自ら望んだという。それは、日本が再び戦争できる国家に生まれ変わろうとしていることを、敏感に感じ取った危機感からかもしれない。
一人の女性は「平和が来るまで伝えていきたい」と語った。彼女たちが願う平和とは何だろうか。残念ながら、この作品からはその答えは見えにく、彼女たちの戦争体験を「記録すること」にとどまっている印象を受けた。彼女たちが今、日本社会や沖縄に何を見ているのか、その思いこそが今貴重である。また、「ひめゆり」にこだわりすぎて、住民の三分の一が犠牲となった沖縄戦の全体像が見えにくくなっている気もした。
戦場を逃げまどう少女たちの恐怖はいかばかりだっただろう。そして、少女たちを狙った米軍の無差別爆撃は今もイラク、アフガンで続いている。映画を見て、戦争がまだ終わっていない現実が続いていることを強く意識させられた。(Y)
東京、大阪、名古屋などで上映予定。
Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2007 |
|