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労働新聞 2007年7月5日号 通信・投稿
盧溝橋事件70周年によせて
中国人養父母に深く感謝
国は被害者の声聞くべき
中国「残留」日本人孤児
木村 成彦 さん
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一九三七年七月七日の盧溝橋事件を契機として、日本は中国全土への本格的侵略を開始した。日本は四五年に無条件降伏し中国戦線から撤退したが、満蒙開拓団の多数の女性や子どもたちが置き去りにされた。国の棄民政策の中で、四千人を超える「残留」日本人孤児が中国人に育てられた。一九七八年に日中平和友好条約が調印され、八一年から政府による肉親捜しが始まった。しかし、日本政府は、帰国した孤児たちの生活を保障することもせず、孤児たちは苦しい状況に追い込まれている。今年は盧溝橋事件から七十周年、日中国交回復から三十五年を迎える年である。「残留」孤児の一人であり、八六年に帰国した木村成彦さんに話を聞いた。
養父母に大事に育てられる
私は中国・吉林省敦化で育った。日本軍の遺棄化学兵器がいちばん多いといわれている所だ。中学校に入った頃、友達から「あんたは日本人か」と聞かれるようになった。それまで、自分が日本人だということはまったく知らずに、養父の張忠綿を本当のお父さん、養母の徐素珍を本当のお母さんだと思っていたので、驚いた。つらくて、そのことを直接、養父母に聞くこともできなかった。
でも、近所の人たちはみんな私が日本人だと知っていた。実母は生まれて一週間もたたない私を、養父母に預けたということだ。母は私のきょうだいの四、五歳の女の子と三歳くらいの男の子を連れていたそうだ。母は別れる前に二、三度訪ねてきたそうだが、その後音信は途絶えた。幼い子どもを抱えた母が、生きて日本に帰ったのかどうかもわからない。母もつらい思いで私を養父母に預けたと思うが、乳飲み子を連れての逃避行は不可能で、いっしょに逃げていれば私も生きていたかどうかわからない。
養父母はよく面倒を見てくれたし、近所の人もよく面倒をみてくれたから、つらいと感じたことはない。日本人だということでいじめられたり苦労した人の話も聞くが、そんな経験もない私は幸せだった。養父母は自分たちが食べる物がないときでも、私には食べさせてくれた。いっしょに育った妹も、養父母の実子ではない。中国人はとても心が広いと思う。他人の子どもでも温かく育ててくれた養父母に、とても感謝している。私たちは九九年に、瀋陽の「九・一八博物館」に養父母に感謝する碑を建立した。私がその碑文を書いた。養父母は亡くなったが、その恩を忘れたことはない。
肉親との再会かなわず
私は七〇年に中国人女性と結婚し、家庭をもった。その後、七二年に日本と中国が国交正常化した。それから十年ぐらいたって、やっと残留日本人孤児や残留婦人の存在が知られるようになってきた。長野県の山本慈昭さんたちの努力のお陰だ。
私は八三年に第四次肉親捜しで初めて日本に来たが、結局、情報がなくて肉親と再会することはできなかった。それで八六年に日本人の知人に身元引受人になってもらって、家族といっしょに帰国した。
自立できる生活保障を
日本政府はなぜもっと早く肉親捜しを始めてくれなかったのか。被害者が声をあげないと動かないというのはひどいし、情けない。それまで政府は私たちのことを全然考えていなかった。早く手を打てば、情報も多かっただろうし、「孤児」たちも三十歳代の若いうちに帰国できれば日本の生活に慣れることができたし、年金の問題なども起きずに、老後の生活も安定しただろう。今は年金もすごく少ない。
年をとってから帰国した人たちは、まず日本語を覚えることがむずかしい。日本語ができないから、就職することもできないし、日本人の友達もできない。すごくさびしい生活をしている人が多い。
私たちにとっては中国語が母国語であり、心おきなく話せるのは中国語だ。田舎では中国語を話せる人がだれもいない場合も多い。まわりの日本人からは中国人として見られてしまっている。
多くの帰国者は生活保護を受けている。でも、これでは自由になれない。年老いた養父母の面倒を見ることもできない。いっしょに帰国した子どもたちは若いから、日本での生活にはすぐ慣れて就職もできる。でも、収入のある子どもといっしょに住むと、生活保護を打ち切られてしまう。子どもの収入だけで生きていくことはできないから、別々に住むしかない。生活保護ではなくて、国の責任として自立した生活を保障してほしい。
いま全国で日本人孤児たちが、生活保障や国の謝罪を求めて裁判を起こしている。私は参加していないが、その気持ちは同じだ。 政府は、朝鮮に拉致された人たちが帰国したときは厚遇し、就職先も探した。彼らは日本語もできるけど、私たちは日本語もできない。不公平すぎるのではないかと腹立たしく思う。
歴史を鑑にアジアと仲良く
日本は侵略戦争のことをほんとうに反省しているのだろうか。自分が悪かったことを認めて、荷物を降ろして軽くしないと前に進むことができない。過去の過ちをきちんと反省しないと「美しい国」にはなれない。ドイツと比べても、その点がまったく不十分だ。
私の経験からも、戦争には絶対反対だ。再びアジアと戦争する道を進まないでほしい。戦争がなければ、家族がバラバラになることもなかったし、私の人生も違ったものになっていただろう。
戦争は多くの悲劇を生んだ。帰国後、私に男の人から電話がかかってきたことがある。永住するのかどうか聞いてきたが、その後連絡はない。ひょっとしたら肉親だったのかな、という気もする。再婚や財産の問題など、いろいろな事情で名乗り出ることができない肉親もいるだろう。
国は間違うこともあるが、被害者の声を大事に聞けば、必ず正しい道に戻れる。それなのに、日本は教科書を書き換えて歴史を否定しようとしているように見える。これはよくない。子どもたちに正しい歴史を伝えていくことが大事だ。
私は今も、中国が好きだ。最近、中国人は悪いと決めつける人がいるが、私はこのことには反対だ。中国人だって日本人だって悪い人もいる。いじめる人もいるし、助けてくれる人もいる。日本はアジアの国だから、歴史を鑑(かがみ)として、アジアと仲良くしていくべきだと思う。
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