労働新聞 2007年4月15日号 通信・投稿

「入学おめでとう隊」に参加して
温かく育てられる子どもたち

民族学校の外の状況変えたい

会社員 小野 翔一

 四月一日、川崎市高津区にある南武朝鮮初級学校で入学式がありました。私は「入学おめでとう応援隊」のボランティアとして式に参加しました。
 このおめでとう隊は、朝鮮民主主義人民共和国による拉致事件が明らかになって以降、朝鮮学校に対する脅迫やそこに通う子ども達への嫌がらせが続いたことから、「子どもたちの笑顔を守りたい」と〇三年の春から始まった運動です。以来毎年、朝鮮学校の入学式で「入学おめでとう」ののぼりをかかげ、お祝いしています。
 この活動は今年で五回目で、今回は川崎市と横浜市にある朝鮮初級学校三校でお祝いしました。私は今年初めて参加させていただきました。

入学式、お花見…学校は交流の拠点
 すべての子どもが不安や恐怖を感じずに生活できる環境をつくる責任は、すべての大人にあると思います。これは、その子どもの家庭背景などと一切関係ないもので、決して「在日の問題」ではありません。この子どもたちに嫌がらせなどが起きている事実を黙認しないことは、大人として最低限果たすべき責任と思います。子どもの権利を蹂躙(じゅうりん)することを許さない社会をつくるのであれば、その意思をかたちにして表現しなければいけません。在日朝鮮人についての問題においては特にそれが重要だと思います。
 私は在日朝鮮人の母と日本人の父との間に生まれましたが、朝鮮学校には通わなかったため、親戚以外の在日朝鮮人に会う機会は皆無でした。たとえ町中で会っていたとしても気づくはずはありません。「在日」をめぐり、どんなに差別的で侮辱的な状況下に置かれても、同じ立場にいる仲間の存在を確認するのは容易ではないでしょう。だから私は、せめて入学式の場だけでもサポートしたかったのです。子どもたちに応援のメッセージを送り、学校の外にも味方として応援している人たちがいることを伝えたかったのです。
 今回の応援隊には、私とほぼ同世代の専門学校生が三人に大学生が一人、また在日朝鮮人に対する弾圧の歴史の研究をしているカナダ国籍の大学院生などの若者から、教員や会社員まで、多様なメンバーが参加していました。
 校門の前と校舎の入り口に分かれてのぼりを立て、式の会場に集まってくる人に「おめでとう」と声をかけました。
 入学式では、式場や段取りなどから、先生や保護者たちの新入生への思い入れ、子どもたちへの愛情が見て取れました。
 式に続いて、校庭で朝鮮総聯南武支部の花見会が行われました。私たち応援隊もこのお花見に参加させていただきました。これは今年が初めての機会ということです。入学を祝うかのような満開の桜の下で、焼肉とお酒をご馳走になりました。大人たちは酒を飲んでいろいろと語り合ったり歌ったりとなりましたが、子どもたちは食べるとすぐに校庭でサッカーをしたり桜の花びらを集めたりと、遊びに夢中です。
 六十年の歴史を誇る学校だけあり、本当に大勢の卒業生が一堂に集まっていました。学校関係者や地域の在日の住民、商工会の方々など、いろいろな人と交流する機会に恵まれ、在日朝鮮人の母親ともしたことのないような混み入った話ができる貴重な機会となりました。

飲んで、語って、心の壁を越える
 ここ十年ほど在日朝鮮人をテーマにした映画や小説が増えていますが、そこで描かれる「在日朝鮮人像」は、私たちにどういった影響を与えているのでしょうか。そういうことを考えると、「朝鮮学校」という言葉を聞くだけで重苦しい気持ちになったり、難しい問題だという意識が深く考察することを邪魔してしまったりする…こういうことはよくあることかもしれません。
 しかし、こうした先入観にとらわれない人びとが多くいるのも確かなことです。今回の応援隊は、そんな当たり前のことを実感させてくれました。また、朝鮮語が流暢な応援団のスタッフやカナダ人の参加者は、孤立させられがちな学校の皆さんないしは在日朝鮮人の皆さんを相当元気づけただろうと思いました。
 在日朝鮮人の歴史や彼らの現状を理解するのは、確かに容易な作業ではありません。しかし校庭で児童と遊んでいた学生たちは、こうした「難しさ」や「重苦しさ」の壁をすでに突破していたのだと思います。私も子どもたちとスーツのままサッカーをする中で、いつの間にかこうした壁を通過したように感じました。
 また、いっしょに焼肉を食べ、酒を酌み交わし、多くの人たちと話す中で、自分の想像していた人たちと目の前の人たちとの差に何度も驚かされました。そこで話された内容は驚くほど壮大で、在日朝鮮人のことや日本人のことにとどまることなく、米国のブッシュ政権とイラクの市民の関係や、フランスで一昨年起こった暴動の話などに及び、当然ですが映画で見るような「在日」の姿とはまるっきり違っていました。
 ところで、安倍晋三や石原慎太郎などの在日朝鮮人に対する敵意をあおっている政治家さえも敬称で呼んでいることに、なぜだか驚かされました。かれらにとっては「憎い敵」なのかもしれませんが、それでも客観的に、大きな構図で見ようとしないと問題は解決が難しいと感じているからではないでしょうか。あの作家や政治家の在日朝鮮人に対するものの見方が対極的で、まったく鈍感であるとあらためて感じました。
 夕方になる頃には、この学校の児童が、いかにさまざまな人びとに見守られて育っているかを実感できました。学校内には子どもが育つのに恵まれた環境があります。しかしやはり学校外の環境について考えずにはいられませんでしたし、これからも考えさせられるでしょう。
 私にとって朝鮮学校を訪問するのは三度目でしたが、とりわけ印象深いものになりました。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2007