「やあ!コンバンワ! お久しぶりですね! お元気でしたか?」(私)
「コンバンワ! 久しぶりやネ」
「1年ぶりですね、大将。どうです今日の調子は?」(私)
「いや駄目だね、もうあと30分もするときっとわいてくるよ、始めんネ!」
「今年初めてで、どんな調子かと思って…。大将は来てました?」(私)
「オウ、毎日来とるよ」(ん?、毎日来てる…?)
この会話は、午後7時。日はとっぷりと暮れ、晩秋の風は肌寒く、薄暗いヘリウム灯の足下だけがわずかに明るいだけで、あたりはいわば漆黒のやみ。一群の人びとは、目前20メートルほど先にある赤い一点をひたすらじっと見つめている。異様といえば異様な光景。そう、ご経験のある方ならすぐに、ピーンと来るはず、夜釣り中の会話です。
私の家から車で20分ほどのところに大規模な漁港があり、その中の突堤で例年11月に入ると太刀魚が釣れます。例年とはいったものの、こんな身近で、しかも何の変哲もない堤防で、太刀魚が釣れるとはとても思えず、私がそれを知ったのは昨年から。煮て良し、焼いて良し、干物に良し、そしてなんといっても刺身がうまいのです。冬を控え、脂がのっており、手頃な釣りものとしては極上です。
おまけに、クロダイとかメジナ釣りに比べて、あれこれのケースを想定した事前の準備はほとんどいらず、さらには魚釣りに欠かせないえさも用意する必要はありません。タモを持っていって、この地方でトウゴロイワシと呼ばれる小魚をさっとすくい、鈎(はり)にかけて放り込む。実に簡単です。準備はいらず、魚はうまいとなれば、この釣りにハマるのは当然です。私も昨年、冷蔵庫に太刀魚のストックがなくなると通いました。で、いよいよ待ちに待ったこの季節。実に1年ぶりにこの波止に夜釣りにやってきました。
こうした波止釣りには、これも経験のある方なら実感されていると思いますが、必ず「常連さん」という人がいます。堤防に来て釣り人を見ると、初めて見る人、たまに見る人、必ず見る人の3種類がいます。必ず見る人、これは大方は近くに住んでいる人、それもすでに退職し年金生活者で、寝不足の明日の出勤を心配せずに釣りができる人たちです。うらやましい限りです。したがって夜釣りは、どうしても明日に勤務のない土曜に集中します。しかしこの土曜日こそ、皆が同じ理由でいっせいに押しかけるので、波止は満員。釣りができず、渋々帰らざるをえないといった状況になります。
さあ、好きな釣りでもやって、気分晴らしをやるぞ! と思って堤防にやってきて、それができずに否応なく帰らざるをえないわけですから、ストレス解消どころか逆にストレスが昂(こう)じてしまいます。そんなわけで、たいがい平日、7時頃から10時過ぎまでの釣行パターンという人がほとんどです。
しかし、いかに好きな釣りとはいえ、1日の仕事を終えて、引き続きさらに夜半までの残業仕事をやるのと同じで、これは身体にこたえます。釣りキチと言えども、ちょいちょい来るという具合いにはなりませんし、まして「毎日」来るというのは、常連さんをのぞけば考えられないのです。
ともあれ、はやる心を抑えて早速電子ウキをセットし、大将から分けていただいたトウゴロイワシをつけ、第1投。大将と竿(さお)をならべて釣ることにしました。後30分もするときっと、次から次にウキが引き込まれ、ぐいぐい、ばしゃばしゃ、がばっ、そして、ばたばた、太刀魚は波止に私の獲物として転がっているはず、と思って第2投。
「昨日は、タチを12本あげたよ、昼間はアオリイカが10十パイ、大漁やったナア。おとといはタチが8本、ハハハッ」(大将)
「そうですか、昨日は昼も夜も釣りですか、皆勤賞ですネ!」(私)
「いゃー、ここんとこずーとョ。毎日ョ。家におってもしょうがないし…」
思わず「エーッ、仕事はどうしたんです?」と尋ねそうになって、私はあわててて声を殺した。こうした防波堤釣りでは、相手が話してこない限り、いろいろあれこれと相手の身の上の事を尋ねるのはいやがられるのだ。マナーでもある。好きな魚釣りの時ぐらい、忘れたい世の中の些事(さじ)はワンサカとあるのだから。
だが、問わず語りに、昨年知り合った、この見るからに人の良いきまじめな大将はつぶやいた。
「この年になると、雇ってくれるところ、ほんとになかぞ…」
この1年の間に大将の身の上に大きな変化があったのだ。A重工の大きな下請け会社に勤めていたこの大将は、リストラにあっていた。リストラといえば聞こえがよいが、要は首切り。会社関係のつても、職安も、あちこち探し歩いてきたが、職がないとのこと。最近は職探しに疲れた。やることがないから、毎日気晴らしに釣りに来ているとのことだった。
そうか、そうだったのか。この波止も社会の縮図、このご時世だから「会社都合による失業者」(!? )がいても不思議ではない。親しい知人というわけではないが、波止で出会って、その波止場限りにしても、いろいろと親切に教えてももらい、かつわいわいがやがや談笑しあった仲、その人の身の上はやはり他人事ではない。労組は、会社は、条件は、他に同じような人は、職場の仲間は…?
次々に質問したかったが、そこは控えざるをえなかった。すでに今年の1月のことで、いろんな事は過ぎ去ってしまっていた。怒りとも違い、やるせなさとも違う、悔しさでもない、なにか表現しようもない重いもの、それが生まれ、ゆっくりと私の中に沈殿していった。
「おい!兄ちゃん!(この大将からは、私は兄ちゃんと呼ばれている) なにボケーッとしよるか!ウキ沈みよるやないかい、見はらんば!」。ハッと気づくと、私の電子ウキは赤いトップを沈ませ、太刀魚が餌をくわえて、今、走り出すところだった。
今夜は大漁か?
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