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私の仕事は登録ヘルパーで、家事援助、身体介護などで忙しい毎日です。介護保険制度が始まり、いくつもの事業者が参入してきました。私が働いているのは、市内でも大きな会社です。
しかし、私の住んでいる地区ではヘルパーがたくさんいるので、近い地域で働けない状況です。派遣先は市内のはずれなので、何かと不便です。利用者のお宅へ通うのに往復で三時間かけ、仕事が一時間という不合理なこともあります。
この仕事を選ぶきっかけとなったのは、姉が六十歳代で病に倒れた時、ヘルパーさんに大変お世話になったことです。献身的な介護で病状も回復し、その後のリハビリで何とか歩けるようになったのです。困っている人の役に立てればと思い、資格を取って登録ヘルパーになりました。
しかし、現実の利用者は「高齢者」ばかりで、リハビリで社会復帰をめざす人にはこれまでお目にかかったこともなく、「思い違い」にとまどいながら仕事に追われる毎日です。
仕事を通じて、社会の縮図というか人間の生きざまのようなことを目の当たりにして、考えさせられることばかりです。先日、病院で最後をみとったAさんはヘルパーの手に負えなくなったのに、入院をかたくなに拒んでいました。以前、大けがをした時救急車で運ばれたのですが、病院をタライ回しにされたことで、医療不信になってしまったのです。
Bさんは九十歳になるおだやかな「おばあさん」です。これまでは「嫁いだ娘も苦労しているので世話にはならない」と口癖のように言っていました。しかし最近は、ボケが出たのか、「ちっとも私のことを考えていない」と娘の悪口を言い出し、人格が破壊されたようになってしまいました。
また、介護保険の利用者の中には、「お金を払っているのだから、自分の気に入った人を頼む」と、つぎつぎとヘルパーの交替を要求する人もいます。こんな時は落ち込んでしまいます。
しかし、最後をみとった家族から、「青山さんにはたいへんお世話になりました」と感謝されれば、この仕事を選んで本当によかったと思います。それ以上に、介護保険制度を通じて社会が見えてきたことが、私にとって大きな財産となりました。
高齢者を社会全体で見ていくことは本当に大切なことです。しかし、介護保険制度が始まって、お金持ちは以前より安い料金でサービスを受けられるが、低所得者にとっては新たな負担となっているこの制度の矛盾に、最初に突き当たりました。本人の一割負担といっても、低所得者にとっては負担が大きすぎ、この制度を利用できない人もたくさんいるのではないかと思います。
利用している人でも、介護度ランクによってサービス内容が時間で決められていきます。一見合理的のように見えますが、個人差があるのを機械的に決めてしまうので、現場ではとまどうこともあります。
世界第二位の経済大国といわれながら、交通事故を上回る自殺者の数。何ともいびつな社会ですが、「痛みをともなう改革」が公然と語られています。政府与党から野党までが「改革」の大合唱では、国民は何を信じればよいのでしょうか。安全地帯にいる政治家が「国民に痛みを」と言っていますが、「自分のいやなことは他人に押しつけない」という最低限のモラルさえ失われてしまったのでしょうか。
目をそらしたくなる現実をつきつけられますが、今日も「私の笑顔を待っている人がいる」と自転車をこいで、駅に向かいます。
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