私は大手のプラスチック容器製造工場で働いていました。労災はある日突然、私を襲ってきました。プラスチック容器のフィルム生成機の大きなローラーに、左手を思いっきり引き込まれてしまったのです。その隙間はわずか〇・三ミリですから、ホンの一瞬で私の左手半分は破壊されました。
すぐに同僚が機械を停止させてくれましたが、私の手の平からは多量の鮮血が流れ落ち、すでに親指はちぎれて落ちかけ、また、人指し指も身が削げ落ち、手の平の付け根まで皮膚がめくれ、指の骨が完全に見えていました。それはまるで、理科室の標本のような形でした。
私は救急車で近くの病院まで運ばれましたが、その後も工場では何事もなかったかのように、その機械で生産が続いたそうです。
一年半もの長期療養で、職場復帰はかなり酷な状況でした。復帰後は資産管理部でコンピューターをたたく仕事につくことが決まっていましたが、畑違いの仕事でした。復帰後早々、職場の直属の上司が私の耳元で、小さく言いました。「私だったら、転職をしているよ」と…。私は招かざる客のごとく、復帰した職場であつかわれました。
そして、三カ月が過ぎた頃、症状固定という名目で、労働基準監督署に呼ばれました。そこでも、予期せぬ言葉が!「君は、もともとそういった指じゃなかったのかね?」…。
この差別的言葉と態度に、私は憤慨を隠せませんでした。しかし、ここは監督所です。私は自分自身の不甲斐なさをいましめながら、ただただ監督官の言うことにうなずくしかありませんでした。 「労働災害八級」、それが私に対しての回答でした。
また、監督官はこうも言いました。「中指の障害も入れてあげたんですよ。病院での認定の項目に書き込まれていなかったですがね。それでこういった等級になったんですからね。感謝して下さいよ」。そこでも、ただうなずくしかありませんでした。
その後、会社の態度は一変して、指先が不自由になった私に生産ラインに戻れとの命令が出ました。とても、戻って仕事ができる状態ではありませんでしたが、だからといってほかにいくあてもなく、黙って従いました。
しかし、それから二カ月後、私は退社しました。そこでのいじめに耐えられなったことと、健康上の都合からです。本当に、会社復帰がこれほどにつらく苦しいものだとは思いませんでした。
確かに、会社の中には私に同情的な人もいましたが、ほとんどは専務や常務のご機嫌をそこなって、自分自身が左遷されることを恐れていましたので、誰一人味方になる人はいませんでした。会社ではこのような状態が、いまも続いていることでしょう。
企業は業績ばかりを気にして、利益ばかり追求し、監督省庁は自己の保身ばかり考えています。このような劣悪な環境でも耐えて働いている、日本の労働者は本当に世界一の労働者でしょう。それでも、私たちは働かなくてはなりません。そうしなければすぐに食事さえ、まともに食べることができなくなります。
零細企業で事故にあって労災になった友人は、入院と同時に会社の籍が外されたそうです。また、労災であっても、労災認定せずに、会社からの命令で自己の健康保険で治療している人も多くいます。そうするのは、会社から首を切られることを恐れているからです。また労働基準に違反して、労働者や従業員を軟禁状態で働かせている企業もあります。
私たちは、本当に二十一世紀に生きているのでしょうか? この状況はまるで映画の「あゝ野麦峠」でも見ているようです。明治時代の女工さんのようでもあり、また、奴隷のようでもあります。
階級社会が、以前として眼前に広がっているようにも見えます。「支配者=資本家、中産階級=経営者、役員、下層階級=労働者・搾取される者」一見偏見のようにもとれますが、しかし、歴然とした事実です。
私たちはどうがんばっても、支配階級にはなれません。なれたとしても、せいぜい中産階級で終わりです。それ以上は、ガラスのカーテンに阻まれています。資本主義社会の一員として構成している以上、この制度には逆らえません。民主主義、民主主義とお題目のように唱えていた時代が、ずいぶん過去のように思えます。
本当に「民」が、「主」の時代が来るのでしょうか?
われわれのような社会的弱者が何を言おうとまったくお構いなしの政府に、心苦しいほど憎しみを感じます。私は以前、自衛隊員として長く勤務しておりましたので、この国を愛する精神は捨ててはおりません。しかし、昨今の事件や不祥事を聞くたびに、この国はもはや来るところまで来てしまったのではないかと思います。
長々と書きましたが、皆様のこれからのご発展とご成功をお祈りしております。