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沖縄・名護市をモチーフに劇を上演

若者へ届け沖縄の心

「ちむどんどん」仕掛人1号 秋吉 拓史さんに聞く




 九五年の沖縄での米兵による少女暴行事件以降、米軍基地撤去を求める運動は日本全国に広がった。青年・学生も沖縄をめぐる問題に関心を向け、各地でさまざまな活動が繰り広げられている。名古屋市の劇団「ちむどんどん」は五月三十日、海上ヘリ基地建設の候補地にあがった沖縄県名護市の住民を描いた劇「アコークロー」を名古屋市で上演した。「アコークロー」の脚本・演出を行い、「沖縄から考える全国ネットワーク」の呼びかけ人でもある秋吉拓史さん(25歳)に沖縄への思いなどを聞いた。(ちむどんどん=胸がどきどきする、わくわくする)


「ちむどんどん」発足の経緯を聞かせて下さい。

 十五歳の時からアマチュア劇団に在籍していたのですが、やり方が合わなくて九五年にそこを飛び出して、芝居をやめようとすら思っていました。

 前の劇団でも沖縄について芝居を上演したことがあるのですが、もっと深く掘り下げてやりたい気持ちが強くて、いつか芝居をつくってみたいと思っていました。

 そんな時に少女暴行事件が起きました。一〇・二一県民大会に参加したのですが、本やテレビで見るのと違って、自分の体で沖縄の人たちの苦しみを感じました。そして「自分は名古屋でどうするんだ」と、考えさせられてしまいました。ただ「知りっぱなし」ではよくないと思ったんです。でも、帰ったら日常生活に流されて、一〇・二一に参加したことを「免罪符」にしている自分に、ある日ふっと気づいたんです。その時、沖縄を芝居にしたい気持ちを形にするのは今じゃないかと考えて、九五年十一月一日から台本を書き始めました。

 台本を書くのは初めてだったこともあり、何回も沖縄に足を運んで、書き直しました。本を読んで書くこともできますが、それって僕の言葉じゃないでしょう。かっこいい言葉引っ張ってきて、つぎはぎだらけの芝居つくっても仕方ないから、何度も足を運んで、沖縄の人たちの声を聞かせてもらって、書き上げたんです。

 翌年三月に台本ができ、メンバーを募集しました。同じように劇団を飛び出した二人といっしょに三人でたち上げて、友だちに声をかけたり、新聞で募集したメンバーで一年間準備をして、九七年三月、名古屋で一作目「大和風吹ちん〜若き世代の夢語り〜」を上演しました。

 これは「ヤマトの風が吹いても」という意味です。

 基地や戦争に興味がなかった若者が、基地被害(劇では米兵相手の事故をとり上げた)にあうことで、「当たり前と思っていた基地って何だ」と考えていく、そんな様子を表しました。

 一作目は沖縄でも上演したのですが、「大和風吹ちん」一本だけということでメンバーを集めていたので、そこで一度解散しようと思いました。でも、沖縄での温かい拍手が、ポンと背中を押してくれて、もう一回頑張ろうかなって気持ちになり、二作目を書きました。それが今回上演した「アコークロー」です。

 「アコークロー」は「明るい暗い」という意味で、沖縄の現在を表している言葉だと思います。青い海などの「明」と、戦跡、基地などの「暗」、どちらも本当の沖縄の姿なんですよ。

 「アコークロー」では、海上ヘリ基地建設の候補地にあがった名護・辺野古をモチーフに、米軍基地に翻弄(ほんろう)され、きずなを引き裂かれていく人びとを描きました。

 でもこれは、県内で米軍基地をたらい回しする政策が続くならば、辺野古に限らずどこででも起こり得る話です。僕はそれを書きたかった。基地があることで、基地を県内でたらい回しすることで、移設候補地の人たちがどんなにきずなを引き裂かれて、苦しい思いをしているか、そして「それでも、基地は必要かな」って問いかける芝居をつくりたいと思いました。

 次の公演は決まっていません。僕らには金がありませんから…。でも、呼んでくれるところがあれば、全国どこへでも行こうと思っています。

沖縄に関心を持ったきっかけは?

 中学までは東京日野市に住んでいて、横田基地の米軍機が毎日、頭上を通っていました。

 小学校の時に、母に「パパ、ママ、バイバイ」という絵本を与えられたのですが、それは横浜市緑区の民家に米軍ジェット機・ファントムが落ちてお母さんと二人の男の子が死んでしまう話でした。

 それを見て、戦闘機が墜落するのは、自分の生活でもあり得ると思った瞬間に恐くなって、夜になると「飛行機が落ちてくる」と泣き叫ぶようになってしまいました。

 そんなことがあって、戦争はいやでしょうがないという気持ちがずっとありました。

 ケンカばかりして高校を退学になり名古屋に移ったのですが、このころはかなりすさんでいましたね。

 母が通う教会に沖縄出身の副牧師で、グレてた僕と人間同士のつき合いがしたいって言ってくれた人がいました。そのころはとくに沖縄に関心がなかったのですが、一年ほどして、高校野球で沖縄水産高校が準優勝した時、沖縄音階の応援歌や、応援スタンドでしわだらけのおばあがカチャーシーを踊ったりするのをテレビで見て、カルチャーショックを受けてしまったんです。

 それで副牧師の彼に、「あれは何だ」と聞いたら、沖縄の話をしてくれました。そこで、沖縄戦と今も基地があることを聞いたのがそもそも沖縄との出会いです。

 彼に勧められて十日ほど沖縄を旅して、基地を見たり、ガマ(洞穴)にもぐったりして、沖縄って深いなって思って、すっかりはまってしまいました。

沖縄をめぐる問題について、どう思いますか。また、今後の抱負などを聞かせて下さい。

 住民の意思を全く無視した形で、基地を押しつけるという体制はいつか破たんすると思います。住民はそんなにバカじゃないし、僕らもやられればやられるほど、賢くなるわけですから、どこかでやっつけることが出来ると思います。

 僕は理屈抜きに沖縄の風土や芸能が好きなんですが、それすらも脅かしてしまう戦争や基地を止めるには、まず僕らと同じ世代の人に知ってもらいたい。だから、芝居で沖縄を知ってもらうきっかけをつくりたい、すべてはそのきっかけづくりでしかないと思っています。

 今回の芝居も、高校生がけっこう見に来てくれて、「全然知らなかったけれど、こんなことがあるんですね」「自分も沖縄に行ってみたくなりました」と書かれたアンケートが返ってくると、すごくうれしい、それだけでいいって気もしてしまいます。

 また台本を書くとしても、受け売りの芝居しか書けなくなるのはいやだから、自分の力で新しく学び直さなければならないと考えています。それに、芝居だけをやる集団にはなりたくないので、メンバーといっしょに、沖縄を知っていくことも、やっていきたいと思います。

ビデオアコークロー 7月上旬発売
問い合わせ 電話〇五二―九三五―七五〇二(秋吉)まで


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