琉球大学教授・高嶋 伸欣氏に聞く
A級戦犯の東条英機を「英雄」にまつりあげ、侵略戦争を「正義の戦争」と賛美する反動的な映画「プライド―運命の瞬間(とき)」(以下、「プライド」)が五月二十三日、全国で公開され、国内外から抗議の声が広がっている。横浜教科書裁判を闘っている琉球大学教授・高嶋伸欣氏に、映画への批判や歴史認識問題などについて聞いた。
九二年に執筆した「現代社会」教科書の検定で、四カ所の改定を要求された。「横浜教科書訴訟」を提訴したのは、家永三郎氏が第三次教科書訴訟を提訴した際、これ以上、氏にお願いすることに責任を感じたからだ。同じような検定にあったら自分たちが、と思っていた。
裁判が始まってすぐ、法廷で検定官が自らの不手際を認めたため、判決前から勝利を確信していた。
裁判の中で、教科書に引用された資料を検定官が読んでいなかったことが明らかになった。また検定官は学習指導要領すら読んでないことも明らかになった。
湾岸戦争当時の情報統制や昭和天皇死亡の際の報道過熱については、当方の言い分が退けられた。これは、「安保」と「菊」というタブーに触れるものであったからだろう。これについては、裁判所を批判することで、国民に訴えていきたい。
二審では、これらの事実関係にあわせて、教科書そのもののあり方についても訴えていきたい。そもそも、教科書というものは決して内容をうのみにしてよいものではなく、あくまで生徒と教師がともに考えていく際の手がかりであるべきだ。
昨年十一月に出された中央教育審議会(中教審)答申でも、「考えさせる授業を」と言わざるを得なくなっている。自民党が選挙公約で、高校教科書の検定を廃止するということが議論になったくらいで、検定制度はもう維持できなくなっている。
しかし「教科書検定は検閲だから廃止しろ」と、自由発行・自由採択にするだけでは、かえって現場教師は混乱してしまう。すぐに検定制度を廃止するのではなく、もっと現場教師が教科書を執筆し、歴史学者が監修するような体制を整えたりすることで、現場教師が教科書を選択できるように条件を整えていくことだ。そして選択の際には、その理由を開示させる。こうすれば、現場教師の経験が生かされ、生徒の関心を生かした教科書ができて教師の自信にもなり、発言権の回復にもつながるだろう。
「自由主義史観」の動きも、彼らにとって「ヤブヘビ」ではないか。彼らが騒ぐことで、かえって強制連行や従軍慰安婦という問題が国民に知れ渡っている。
映画「プライド」は東京裁判を非難しているようだが、東京裁判が昭和天皇を戦犯にしないための茶番劇にすぎないことも、知れ渡っていくだろう。むしろ、彼らの動きを利用して、大いに論争することで、国民に理解を深めてもらえるのではないか。