元駐インド大使・野田 英二郎氏に聞く
インド、パキスタンの両国は相ついで地下核実験を行い、「核保有」を宣言した。核拡散防止条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)を中心とする五大国の核独占体制は崩れ、両国の国際政治上の発言力は増大した。米国はすぐさまこれに経済制裁を行い、わが国政府も追随している。しかし、フランス、ロシアなどが制裁に反対するなど、大国の足並みは乱れ、米国の政治力は著しく低下している。両国の核実験は、核廃絶のためには帝国主義の核独占と闘わなければならないこと、わが国は米国の核の傘の下から脱しなければならないことを鮮明にさせている。核実験の意味やわが国のとるべき態度について、野田英二郎・元インド大使に聞いた。
五月中旬以降に、インドとパキスタンの両国が核実験を強行してしまった。これは国際政治上、大きな事件だ。この意味を考える際には、七〇年に発効し日本が七六年に批准した、核拡散防止条約による核防体制そのものについて考えてみる必要がある。
この条約は、新たに核保有国が生まれるのを阻止することを主眼としているが、同時に、核保有国には核軍縮をすすめるという義務があった。この条約にインドは加盟していなかった。インドは以前から、この核防体制では核保有国だけに独占的地位を許し、それでいて核保有国は核軍縮の義務を履行しない差別的なものだと批判してきた。この点でのインド側の批判は、それなりに一貫している。
もちろん、日本の場合は広島、長崎の経験があり、核廃絶の観点から、インドの核実験、さらにはこれに触発されたパキスタンの核実験は遺憾のきわみであるが、インドに対する批判は彼らの立場をよく考えた上で行わなければならない。感情的になっては、世界政治の現実がよめない。また両国とも、指導者たちが主として政治的観点から行った核実験であるから、経済制裁を行っても、あまり効果はない。
英国による分割がそもそもの背景に
両国が核実験をしてしまった今日、この二つの国の対立の事態は、すぐれてインド亜大陸内部の政治問題として理解せねばならない。
インド、パキスタン両国の関係を考える際に重要な点は、そもそもインド独立の際に、英国が人為的に線を引き、インド、パキスタン両国を別々に独立させたということだ。カシミール問題などの争いは、すべてここから始まった。
インド、パキスタン両国は、いわば「引き裂かれた兄弟」のような関係だ。両国間には、個人間にも政府間でも多くのホットラインがあるから、大規模な戦争は起きにくいのではないだろうか。
大きく変わった国際政治
いずれにせよ、インド、パキスタンの核実験で五大国による核独占体制は崩壊し、国際政治は大きく変わった。当然、イスラエルも続いて「核保有」を宣言する可能性が高く、五大国による排他的な核独占に三国が加わり、八カ国になるかもしれない。「これで『八つの核クラブのメンバー』がまったく平等の立場で、初めてフェアな核軍縮の交渉ができる」という元インド高官の談話もある。
国際政治は冷戦が終わって、多極化と盛んに言われ、現に多極化してきている。たとえば国連における中国の人権問題への票決やイラクやキューバに対する制裁など、いろいろな面で米国の影響力はどんどん落ちてきていた。中国とロシア、中国とフランスなどの共同コミュニケも盛んに「多極化」と言っているが、これは国際政治の実態を反映したものだ。
そういう状況があったところに、今度のインド、パキスタンの核実験があった。国際政治の多極化はどんどんすすんでおり、もとに戻すことはできない。このような情勢の中で、多くの世界の中の二国間関係の中で、いわば例外的に米国に追随しているようにみえるのが、わが日本ではないか。
日本外交を再検討することが必要
日本は被爆国の国民感情があり、決して核を持つべきでないし、持つ必要もない。国際政治の中で「核抜きの一極」の立場を守るということだろう。
もう一つ。日本が国際社会からどうみられているかを考えておく必要もある。日本は米国の核の傘に守られており、核廃絶について日本が発言しても、説得力は弱い。特にインドでは、「日本は日米安保条約で米国の核の傘の下に守られている。インドにはそういうものはないので、対応が違うのは当たり前だ」という意見がある。日本としては、今後も米国の核の傘の下にいてもいいのかという問題をそろそろ真剣に考えてみる段階にきた。
日米安保条約がある以上、日本に核を含む安保政策での自主性はない。沖縄復帰で「核抜き本土並み」と言われたが、今は日本全国が沖縄並みになりつつある。
そもそも日米安保条約は、冷戦終結でその歴史的使命を終えた条約だ。歴史的使命を終えた条約を、主として米国の世界戦略の要請によって存続させ、強化しようとしているとみてよい。
日米安保は、今日、日本にとってどれだけ必要性があるか。「思いやり予算」で税金を負担している日本国民は犠牲を払っており、基地周辺住民の苦情も絶えない。国民の気持ちからしても安保の存続には無理がある。その上、米国の政府当局者は日米安保に熱心だが、米国内の一般国民の世論は、基本的にはますます内向きになっているのが現実だ。このように考えると、日米安保の存続と強化には無理がある。
ところが、自然死を遂げてもよい日米安保の寿命を伸ばそうとしたのが、九六年四月の日米安保共同宣言であり、日米防衛協力の指針(新ガイドライン)だ。最近は国会も昔の大政翼賛会のようで、非常に危険な状態だ。
インドとパキスタンの核実験は残念なことではあるが、日米安保体制の功罪いかんの問題を一度、真剣に考え直す契機にしてもよい。当面主張すべきは、やはり核兵器の廃絶と北東アジアの非核化ではないだろうか。