980515


アジア経済危機

アジアと共に繁栄する道を

市川アソシエイツ代表・市川 周氏に聞く




 金融危機に陥ったインドネシア、韓国などへの米国・国際通貨基金(IMF)による管理、支配に対し、アジアの各方面から反発が強まっている。東アジア各国の支配層が欧米流の押しつけに反発しているばかりでなく、その犠牲を強いられた各国人民は、インドネシアの暴動のように、闘いに立ち上がっている。八カ国首脳会議(サミット)などもあり、アジア経済危機に対するわが国の態度もまた、厳しく問われている。アジア危機に対し、わが国はどういう態度を取るべきか、コンサルティング会社、市川アソシエイツ代表・市川周氏に聞いた。


よくマスコミなどで言われる「国際社会」「グローバルスタンダード」という言葉が、何を意味するのかということが、日本人になげかけられている。

 端的なのは、三月に橋本首相がインドネシアを訪問した際に、スハルト大統領に言った「国際社会のルールに従って」という言葉だ。いきなり「国際社会のルールに従って国内経済を改革せよ」「改革をして国際社会に戻れ」というわけだが、「国際社会」とは何か。それはIMFのコンディショナリティー(融資条件)だ。それがいつのまにか、「国際社会のルール」にすり替わっている。なぜIMFは国際ルールなのかについて、もっと吟味すべきだ。

 そもそも、日本とインドネシアはどういう関係だったのか。インドネシア経済にとって、日本は貿易額、直接投資、政府開発援助(ODA)のいずれも第一位の国である。日本は、インドネシアの「開発独裁」政権をサポートしながら、将来はもっと新しいスタイルに変わることを期待してバックアップをしてきたという経緯があり、インドネシアの現在の経済システムには責任がある。

 それを、ちょっと通貨でつまずいたくらいで、いきなり「国際社会の外」と呼ぶとはどういうことか。「国際社会の外」呼ばわりされたインドネシアの姿は、明日はわが身だ。現に「日本のシステムは国際基準ではない」と、袋だたきになっている。

民族自決を尊重すべき

 IMFは、西欧からすれば「異質」なアジアの経済や社会を西欧流に改造しようとしているが、アジアに欧米とは違う「異質性」があるとすれば、それは尊重され、認められるべきだ。

 スハルト大統領は、IMFの「政府の補助金をいっさいなくせ」という意見に対し、「お金のない人たちに対して、せめて食糧を安い値段で買えるように補助するのは建国の精神であるし憲法に書いてある、だからできない」と言った。それをIMFはゴリ押しした。

 欧米流のIMFルールを「国際社会」とするのではなく、見つめ直すべきは民族自決の原則で、これを蹂躙(じゅうりん)してはならない。

IMFは欧米主導の秩序

 では、そもそもIMFとは何か。それは一九四四年に、米国のブレトン・ウッズに連合国が集まって、第二次大戦後の金融経済秩序について取り決めたものだ。

 IMFの最初の役割は、世界的な固定相場制の管理維持だった。それを破ったのは、IMFの結成を率先した米国だった。つまり、七一年のニクソン・ショックで変動相場制に移行し、IMFの役割は終わってしまったはずだ。

 極論すれば、そこで解散すべきだったが、八〇年代のラテン・アメリカのデフォルト(債務不履行)への対応という任務を見つけた。急速な経常収支の赤字と債務の増加による国民経済の破たんに、先進国が協力してバックアップする、と。その時に、IMFコンディショナリティーの「ぜいたくするな、輸入するな、もっと働け、政府はカネを使うな」という緊縮、インフレ抑制を中心にした経済再建策が実行された。

 その後遭遇したのが、ソ連経済の崩壊だ。ラテン・アメリカ同様、破産経済の再建を手伝うとともに、社会主義経済体制自体の改造、すなわち移行経済体制に向かわせた。つまり、一時的なサポートにあわせて、経済システムそのものを変えるというものだ。

 今回のアジア経済危機に対するIMFの対応、インドネシアとの摩擦や韓国の財閥解体など、病人が死んでしまいかねないようなやり方は、ラテン・アメリカ型ではなく、ソ連型だ。その国のもっている自主性を踏みにじって失業者を増やすようなやり方に対し、フェルドスタイン・ハーバード大学教授に代表されるように、米国内からさえも批判が出ている。

 アジア諸国の経済システムは、ずっとドルとリンクし、外国から借金をして貿易赤字を穴埋めをしてきた。加えて、カネを借りる際に金利を高くしたので、いっしょに不動産投機などのバブル・マネーが入ってきた。

 アジアの通貨は実力以上に「強い通貨」として政治的に管理されていたが、もはや限界というところを国際投機筋につかれ、みるみるうちに価値を下げてしまった。

 アジア諸国の今後は、人工的な通貨の強さに頼らず、なるべく自分で作れるモノはつくれるような技術を内包した経済に立て直すしかないのではないか。

イデオロギーが問われる時代

 そういう中で、日本は何をすべきか。

 アジア諸国が技術を内包できるように、本気でつき合うことだ。日本はこれまでの産業協力のあり方を変え、技術協力を積極的に行い、日本とアジアが共に繁栄することをめざすことが重要だ。

 昨年でODAの第五次中期五カ年計画が終了した。全体で七百億ドル供与するはずであったが、実績は六百億ドルそこそこだった。政府は、それについて一言も世界に対して説明していない。そのうえ、本年度のODA予算はさらに一〇%カットされてしまった。一方で、対米公約の公共投資は達成年度を先延ばししてくれとお願いしている。米国に言われたことはペコペコするが、自分で決めた援助計画は守っていない。

 こんな自主性のないことでは世界に笑われるし、国民が感動するはずがない。憲法の前文に「国際社会において名誉ある地位をしめたい」と書いてあるが、これをアジアの中できちんとやっていくということを実行していないし、国民の情熱を動員できていない。政治家は国民に対して、アジアとどうつきあうべきか、もっと語るべきだ。

 世界現代史を俯瞰(ふかん)すると、かつて言われた「全般的危機」に似た状況が、ますます深刻化している。

 政治家は、危機の構造を国民に説明しなければならない。つまり、誰が敵で誰が味方かということを国民に明らかにしなければいけない。

 その敵なるものを帝国主義と呼ぶかどうかはともかく、依然として覇権主義(ヘゲモニー)であり、超大国(スーパーパワー)が存在するということだ。それに敏感に反応できる「知」があるかどうかが問われている。それらを構造的に理解する「闘う知」、つまりイデオロギーがないと、これからの危機の時代には生き残れない。


いちかわ・しゅう

 一九五一年長野県生まれ。七五年一橋大学経済学部卒。三井物産入社。九一年、三井物産貿易経済研究所主任研究員。九七年八月、市川アソシエイツ設立。著書「外される日本」(NHKブックス)、「選択する日本経済」(共著、東京経済情報出版)など。


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