昨年、日本経済はバブル後の不況の長期化と、アジア発の経済・金融不安の直撃の中で、北海道拓殖銀行が都市銀行として初めて倒産し、四大証券会社の一つ山一証券が廃業するなど金融破たんが相ついだ。橋本政権は国民各層には「六大改革」と称し、規制緩和、消費税引き上げ、医療費負担増など多大な犠牲を押しつけ、生活と営業を脅かす一方、金融機関には国民の血税を湯水のように投入し大銀行などの救済に走り回っている。すでに規制緩和、市場万能主義の「先進国」アメリカでは、国民は「失業と飢え」の恐怖にさらされている。九八年の経済を占う上で、日本経済の課題について飯田経男・国際日本文化研究センター教授に聞いた。
最近、金融機関の破たんが大きな問題になっているが、この問題の背景、発生について言えば、一九八〇年代の米国レーガノミックスまでさかのぼらなくてはならない。
私の解釈では、当時そもそも米国が巨額の貿易赤字の責任を日本に転嫁して、日本に内需拡大を要求してきた。日本はこの圧力の屈し、金融の超緩慢を招き、この金が株式と土地に向かって、株価と地価の異常な上昇を引き起こしたのがバブルである。
米国の貿易赤字についてはいろいろ議論があるが、米国経済の投資・貯蓄バランス(ISバランス)に、すなわち貯蓄不足・消費過剰に大きな問題があることは疑いをいれない。巨額の対外債務を抱えながら、いまなお大きな貿易赤字を垂れ流し続けている。
当時の「内需拡大」という米国の対日要求は、文字通り無理難題だった。かえすがえすも残念なのは、まず第一に米国の不当な要求に屈してしまい、バブルの発生を未然に防げなかったのは、日本の政策当局の弱腰(と判断ミス)であり、そして第二に、バブルの発生後、地価と株価の上昇が永遠に続くかのように錯覚して、フィーバーした日本の企業(および個人)のどうしようもない愚かさである。もちろん、それをあおったマスコミやエコノミストなどの罪はまことに重いと思う。
そして、当然バブルがはじけて、そのあとに膨大な不良債権などの後遺症が残り、その後始末が後手に回った結果でもあるのが、こんにちの金融破たんであろう。もちろん、後遺症の後始末として、株価や地価上昇に期待していたのだが、アジア発の株の乱高下、通貨不安の発生でその期待も潰(つい)えた。
金融破たんについて、マスコミなどは「市場が破たんに追い込んだ」、つまり「市場による淘汰(とうた)だ」と盛んにいう。しかし、その市場なるものは、こんにち極端な投機によって、非常にゆがみ、不安定なものになっていることを指摘せざるを得ない。
日本の株の乱高下を招いたアジア市場は、非常に不安定になってきていた。というのは、米国が貿易赤字でドルを世界中に垂れ流し、そのドルがうなりをあげて国際金融市場を飛び回っている。それは投機のマネーだから、簡単に投資され簡単に逃げ出す。いまや超短期で、数時間の視野しかないといわれる。基本的には、アジア経済にしっかりしない面があったことは疑いないが、それが投機で異常に増幅されたと思う。
例えば、マハティール首相がマレーシアの国づくりをやろうとしたら、五年、十年と中長期的視野でやらなければならない。そういう時、投機の金が襲ってきたら、マハティールならずとも怒るのは当然であろう。為替、国際金融まで投機、拝金主義の対象とするのは、やはり不健全だと思う。それはありとあらゆるものをカネもうけの対象としてはばからない資本主義・市場経済の本質の一面であり、いまさらという感はあるが、あえて強調したい。
しかも、巨額のマネーが投機に走った結果、いまや実体経済に与える悪影響は計り知れない。こうした傾向はとてもまともとは思えないし、世界の資本主義の腐敗・爛熟(らんじゅく)とも言えるのではないか。
私は、「規制緩和」万能論や、米国風の異常な競争経済がグローバル・スタンダードだというこんにちの風潮は、間違った考え方だと思う。
ここ十数年の間、日本の経済政策は、ほとんど全てが「内需拡大」と「市場開放」もしくは「規制緩和」との二本柱を中心として、回転してきている。それらが全て、自前の思想ではなく米国産で、米国の対日要求に発するものである。もちろん現代経済は一国だけでは成り立たず、多様な国際的相互依存のネットワークに組み込まれているから、日本だけがそれを無視して、独立独歩の勝手な行動を取ることなど、初めから許されるはずはない。
しかし、もう少し自前の発想があってもよいのではないか。例えばヨーロッパ諸国には、EU(欧州連合)統合という独自の課題があり、思想がある。日本でそれに相当するようなものが何かあるだろうか。かろうじて思いつく宮沢内閣時代の「生活大国」にしても、国家戦略としての思想性が希薄なことおびただしい。つくづく日本は、国家戦略を決して自前では考えず、常に米国に考えてもらっている、米国べったりの情けない国である。その意味で、私は決して「反米」論者ではないが、「脱米」こそは今後の日本経済にとっても最大の課題だろうと思う。
米国では、失業率は上昇しているわけではないが、よく知られている通り、所得分配の不平等化傾向が著しい。例えば、レスター・サローは近著『資本主義の未来』で、このままでは「システムは持たないだろう」とはなはだ深刻な警告を発している。優勝劣敗・弱肉強食というマルクスの古典的な図式が、現代米国に復活しているわけである。部分的にもせよ、「失業と飢えの恐怖」は徐々によみがえりつつあるのではないだろうか。
私は、こんにち、いくら「グローバリゼーション」といえども国民経済というのはあると思う。日本の経済と米国の経済とは違うし、その点を世界の「流行」に乗ろうという感じで、最近の日本はおろそかにしている。
規制のない資本主義・市場経済など、もともとありえようはずがない。かのアダム・スミスですら、「夜警」は政府・国家の仕事だとした。資本主義・市場経済では解決できない領域は、「全体」にかかわる「公」の領域であり、国民経済にとって必要な規制を含めて扱うのが「政治」であろう。当たり前のことだが、経済の目標は、「規制緩和」などにあるわけではなく、経済の目標は、「よき社会」をつくることであり、「よき社会」とは、はなはだ抽象的な言い方だが、人びとが幸福を感じつつ、満足して暮らせるような社会のことといえる。